子ども食堂取材 こどもにじいろ食堂(岐阜県多治見市)

団体名こどもにじいろ食堂
開催日時毎月第2・第4日曜日午前11時半から
場所多治見市本町3の41
対象者だれでも可。LINEまたは電話で予約必要
費用高校生以下100円、大人300円。学習支援(要予約)は無料
電話番号090―4254―3604(中島代表、午後6時以降)
代表 中島芳枝さん

プライベートの苦難乗り越えて活動

 代表の中島芳枝さん(59)(介護施設事務員、多治見市在住)は、約10人の無償ボランティアの手助けを得ながら、同市の商店街の一角に間借りしたスペースで第二・第四日曜日の月2回、ランチ弁当を1回100食作り、予約制で親子らに安価で提供している。中島さん自身、家族が相次いで病に倒れ、家計は困窮するなど、苦難が絶えない人生だったという。「人に助けてもらってここまでこられた。調理をすることが大好きで、楽しく子ども食堂をやらしてもらっているから、仕事など他の事も頑張れる」と前を向く。

 中島さんは、今春(2023年春)に大学進学する長男(18)や夫との3人暮らし。長男とは年齢が離れた長女(35)は名古屋市に住む。子どもが幼い時、多治見市に一軒家を購入したが、会社勤めだった夫が転職を繰り返し、ローン返済できずに家を売却。食べることにも困った。長男が小1の時、夫はくも膜下出血で倒れ、以降は自宅療養を続ける。長男は中学の約2年間、不登校。「あの時、子ども食堂のような場所があれば、子どもは逃げていけたのに」と中島さんは今思う。20年夏、高齢者施設に入っていた父親が末期がんで余命3か月と言われた。新型コロナの感染拡大で面会はできず、二人で過ごせる市内の小さな平屋建て建物を借り、夫のいる自宅や職場を行き来しながら12月に82歳で亡くなるまで多くの時間を一緒に過ごした。父と暮らした家は、古いが学童保育に使われていた建物で、一目で気に入り、「父が亡くなれば、ここで子ども食堂を始めよう」と考えるようになった。

厨房に立つ中島芳枝さん
子ども食堂の開催日朝に集まったスタッフたち(2023年3月12日撮影)

 翌21年3月にボランティアや家族の協力を得ながら、子ども食堂をスタート。初回はだれも来ないのではと心配したが、持ち帰り弁当60食は完売した。食材買い出しは中島さんが行い、少しでも安くておいしい店を回る。1食の食材費約200円を補うため、子ども100円、大人300円の値段にし、自治体などから補助金を受けてなんとかやっていけた。半年ほど経過すると、フードバンクなどから受けた食料品の無償配布(フードパントリー)やボランティアによる子どもたちへの無料学習支援も食堂開催日に行うようになった。

3月12日に提供された豚丼とおかず
手分けをして100食分の弁当を作るボランティアスタッフたち

 だが、平穏な運営は続かず、家の床下からアライグマとみられる動物が入りこみ、室内の食料が荒らされる被害が発生した。捕獲も成功せず、不衛生なため、22年6月に現在地に移転。今の悩みは困窮家庭からの申し込みが増え、対応が難しくなっていることという。食堂開設以降、ほぼすべて月2回やり遂げ、3月12日の子ども食堂では、豚丼とおかずを親子らに提供し、一部親子はその場で会食していった。3人の幼い子どもを連れてきた女性(38)は「2年前からほぼ毎回利用していて、月2回でも助かります」と話していた。

 中島さんは「子ども食堂は飲食店のように利益を求めないから気楽にできる。今は余裕がないが、理想は食堂をもっと開けておくこと」と語る。最近は物価高騰が運営に重くのしかかるが、「おばあちゃんが『金銭的に苦しい』と漏らせば、孫や子はおばあちゃんに甘えられなくなる。だから、私も経済的に厳しいとは言いたくない」と笑い飛ばす。高齢者からも弁当提供の要望が多く、子ども食堂に加え、「だれでも食堂」を平日の月8回(1回10食)、会食形式で実施する計画を練っている。(23年3月12日取材。文中の年齢は取材時点)

豚丼をつくるスタッフたち
弁当の提供開始時刻には食堂前に親子らの行列ができた
スタッフ(右)から出来立ての弁当を受け取る利用者
ボランティアから学習支援を受ける子どもたち
通り沿いの窓に食堂案内が表示されている

<執筆者プロフィール> 野矢 充(のや・みちる) 滋賀県甲賀市出身。立命館大学法学部卒業後、30年間読売新聞記者。退職後に名古屋市立大学大学院人間文化研究科博士前期課程修了。現在、名古屋市在住。2021年夏からフードバンク愛知のホームページで「子ども食堂レポート」執筆。著書に「ごみ:拾って楽しめ」(日本語版と英語版)、論文に「憲法改正の国民投票に新聞はどう向き合っているか─朝日・毎日・読売の比較から」(名市大大学院紀要に掲載)がある。