子ども食堂取材 心の子どもごはん(名古屋市守山区)
団体名 | 心の子どもごはん |
開催日時 | 毎月第1・第3土曜日午後5時40分からと同6時40分からの2部制。各25人。 同5時20分から1時間おきに3部制にすることもある |
場所 | 名古屋市守山区小幡南2の5の34 喰い処「心」 |
対象者 | だれでも可。開催週の水曜から木曜午後8時までに電話かLINEで予約必要 |
電話番号 | 080―2625―4143(中村代表) |
費用 | 小中学生100円、高校生以上大人300円、幼児や支払いが難しい人は無料 |
メール | hananoki@r2.ucom.ne.jp |
▼亡夫と歩んだ食堂絶やさず
子ども食堂の名前は、代表の中村千加子さん(74)の夫・昭彦さん(2022年1月に76歳で死去)が自宅1階で経営していた喰い処「心」を使って開く子ども食堂を意味している。夫婦で2016年9月からこの飲食店で子ども食堂を始め、昭彦さんが突然死した後も、千加子さんがやり続けている。千加子さんは、食堂の開催日に昭彦さんの写真を入口に置き、「今も一緒に子供らを迎えている」と語る。夫と築いた道を歩き続ける考えだ。
長年営業マンだった昭彦さんは、60歳代前半で退職した後に料理教室に通い、07年に料理や食器にこだわった飲食店を始めた。一方、千加子さんは、33歳から自宅でKUMON(くもん)の教室を開いていたため、時には父母らを招いて料理やケーキを振る舞う機会があり、大人数の食事を用意することに慣れていた。しかし、15年に体調を崩し、長女に教室の経営を任せた。「暇になって次にやることを考えていた」という16年、テレビで子ども食堂を紹介しているのを観て、「あっ、これだ、と思った」と振り返る。
早速、名古屋市の子ども食堂をインターネットで検索して、見学を申し込んだ。昭彦さんも千加子さんの熱意をくみ取って、子ども食堂への見学に同行してくれた。見学から帰る時には、昭彦さんも「これならできる」と開設にすっかり乗り気になっていたという。
飲食店の営業時間に料理を作るのは昭彦さんがメーンだったが、子ども食堂の開催時に家庭料理を用意するのは千加子さんが中心だった。子ども食堂の日、昭彦さんは子どもらに声がけするなど裏方に徹した。約4年前から利用していて1月21日の食堂にも7歳~2歳の子ども3人を連れてやってきた夫婦は、「(生前の昭彦さんは)私たちに、よく『元気か』と言って気にかけてくれた。ここにくると、今も見守ってもらっている気がする」と話した。
第一と第三土曜日夕方に完全予約制で開催し、1日2~3回に時間を分けて計約50食を提供する。第一土曜は旬の食材を使った献立、第三土曜はカレーライスと決めていて、調理は千加子さん一人でやってのける。新型コロナがまん延した時期は弁当を配布した。ボランティア(約10人登録)は、食材買い出しの同行や開催当日の食事の盛り付け、配膳、片付けのほか、ホームページの作成・更新などを担ってくれる。米や野菜、寄付金はホームページを見た人らが届けてくれ、「今まで経済的に困ったことはない」と千加子さんは言う。
昭彦さんが亡くなったのと同時に飲食店は閉じた。子ども食堂もその時に閉めることは考えなかったのかと千加子さんに質すと、「困っている人たちの現状を長く見てきたし、来てくれる子どもたちへの愛情も感じ、ここがなくなれば(利用者が)困るだろうなと思った。主人と始めた子ども食堂でもあり、80歳までは続けようかなと考えている」と、運営続行へ意欲を語った。
昭彦さんが健在だった21年12月最後の開催日には、昭彦さんがサンタクロースの帽子をかぶって菓子を子どもらにプレゼントした。そして22年最後の開催日には、昭彦さんに替ってサンタ役を長男(46)が引き継いでくれた。今も子どもたちが喜ぶ声は絶えない。(22年12月20日と23年1月21日取材。文中の年齢は取材時点)
<執筆者プロフィール> 野矢 充(のや・みちる) 滋賀県甲賀市出身。立命館大学法学部卒業後、30年間読売新聞記者。退職後に名古屋市立大学大学院人間文化研究科博士前期課程修了。現在、名古屋市在住。2021年夏からフードバンク愛知のホームページで「子ども食堂レポート」執筆。著書に「ごみ:拾って楽しめ」(日本語版と英語版)、論文に「憲法改正の国民投票に新聞はどう向き合っているか─朝日・毎日・読売の比較から」(名市大大学院紀要に掲載)がある。